すーえーもーりー!! 2009年11月15日23:40
僕はいま猛烈に感動している。
電通から奨学金をもらっている関係で、
僕は今日電通が開く奨学生の会合に行ってきたのだが、
そこでまさかの末森様にかなり似た人を発見してしまった!!!
いや、本物より5%くらいかわいいかもしれない。
背の高さも、
目の感じも、
髪型も、
何よりあのえくぼも。
森田ゆかりちゃん。
静岡県出身で東京学芸大学に通っている。
そして高校時代はボート部でたかなかさんと知り合いだったらしい。
いやー、
びっくりした!!
似てるってこと自体にもかなりびっくりしたけど、
それ以上に未だにこんなに反応してしまう自分自身にもびっくりした。
僕の深層意識に末森の姿はこびりついているらしい。
似ている人と話すだけでこんなに嬉しくなってしまうものか。
でもまああんだけ好きだったんだから当然か。
ちなみに、そこで知り合ったほかの人も交えて、
また今度会うことになるらしい。
あー、早く会いたいな。
あー、本物の末森にも会いたいな。
…
でも末森は、さーこさん曰く「今の彼氏と結婚する」
って言って憚らないらしい。
互いに両親にもう挨拶に行ったとか。
ちなみに末森の親は、
「挨拶に来るのはOKだけど外泊はダメ」
って言ってたらしいから、
もしかして、もしかして、
僕達が妄想した最悪の事態には至っていない可能性もあるかもしれない…
まあ望み薄だけど。。
とりあえずゆかりちゃんともう少しメールしてみよ。笑
ぷれいばっく&せんでん 2009年11月22日22:52
日曜
・電通育英会に参加。昔?の友達?のそっくり?さんに会った。
かなり似てて混乱した。
・その後上京した祖母と買い物→ごはん
月曜
・「サイレントヒル」で不毛な徹夜
金曜
・夜からall270円→中嶋宅all
土曜
・電車疲れた
・近くのテーブルに座った誕生日のひとにサプライズでケーキをプレゼント
・桜の木に「帆立」っていう札が付けられてた
・警備員から逃げた
・滑り台に隠れた→逃げた
・きんかろう
日曜
・家族とりんごホットケーキ、フレンチトースト
・文芸大→時々雨
・ベトナム(本日2回目)
・親とニアミス
・屋上庭園
追伸
麻生さんの日記が面白いそうです。
追伸2
明日の朝、うちの叔父の家が「今日のわんこ」に出ます。
フジテレビ系列で7時50分頃より。
ちなみに叔母はCD出してます。
買ってください。
http://www.sunpoiko.com/
ブログ、書いてます。
http://rinman.exblog.jp/
拝啓 おふくろ様 +訂正 2009年11月24日20:25
東京にはなかなか慣れません。
みたいなかんじで始まるんだっけ?笑
ジャスタウェイの書いてあるシャツを見てこれを思い出した。
誰かこれに詳しい人いないかな??
今日はふとNHKのニュースを見ていて疑問に思ったことがあった。
イエメンで日本人が拉致された事件に関するトップ画面で、
「誘拐」とか「拉致」ではなく「連れ去り」と表示されてあった。
キャスターも絶対「連れ去り」と言っていた。
にもかかわらず、現地の人の発言の字幕は「誘拐」になっていたり。
なんで誘拐じゃないんだろ?
連れ去りなんかよりよっぽど自然な感じなのに、
しかも現地の人には誘拐って言わせてるのに。
こういう微妙な言葉の使い分けをしてるってのがNHKなんだからすごく気になる。
広辞苑によると、
つれ‐さ・る【連(れ)去る】
[動ラ五(四)]人を連れてよそへ行く。人を連れて行方をくらます。
ゆう‐かい【誘拐】
[名](スル)だまして、人を連れ去ること。かどわかし。
でなんとなく「だまして」って部分が違うってことがわかった。
でも、それで?ってかんじ。
あれか。
NHKの人からすれば日本人は騙されてないよってことだけど、
現地の人からすれば日本人は騙されてないよってことかな?
まあどうでもいいや。
でもなんつってもNHKがやることだからな。
日本のラングの基準っつっても過言じゃない人達のやることだからな。
やっぱりなんかあるんですか?
あと、その後くらいの時間にやってた「すいえんす」って番組も見た。
テーマは「なぜ猫が甘えるか」。
(意外とまじめ。)
品川庄司が出て、AKBが出てた。
(AKBってかわいい人もいるけどひどい人もいるんだね。)
NHKっておもしろい。
ちなみに、人間は秒速4-5cmで撫でられる時が一番気持ちいいらしい。
母親が赤ちゃんを撫でる速度らしい。
明日は数学の中間だから、つい長々書いてしまった☆
やっぱり4日連続なんて都合のいいことも起きないしね☆
(それでも発車の5分前まで待ってみたり☆)
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うーん…
やっぱりラングではなくて、
日本としてのエリクチュールかもしれない。
難しい…。
長い今週の雑感 2009年11月28日17:38
今週は色々あった。
浜松に帰ってあっこに会って、
数1の定期テストがあって、
学生対応局長選挙に落ちて、
新しい塾講師のバイトの面接に行って。
まあ一番大きかったのは選挙だろうな。
とはいっても、
「僕の存在価値を否定された」的なアイデンティティの喪失みたいな感じじゃなくて。
確かにかなり変わったわかりにくいことを話した僕に比べて
相手はまっとうなことをわかりやすく言っていたからそれも当然だと思う。
逆に、
受け入れられやすいありふれた意見を言って、つまり代替可能な存在として多くの人に受け入れられるよりも、
あまり多くの人に理解してもらえないような意見を言って、変わったもの、代替不可能なものとして少しの人にでも受け入れてもらえてよかった。
そして、KINGという僕の生活の中での大きな柱の一つがぐらついたことで、
僕は自分、自分の将来、自分の価値観を見つめ直すことになった。
僕が生きるためには「みんな」が必要で、
でもその「みんな」ってのは昔みたいに自明のものじゃなくて、
自分で決めなくちゃならない。
そう宮台信司の本を読んで思うようになった。
「『みんな』への価値コミットメント」。
今、自分で決める、と書いたけど、むしろ自分がコミットしたいと思える人たちこそ、
「みんな」なのではないかと思うようになった。
これが今の僕のテーマ。
僕にとってのみんなって何だろう、って考えた。
もちろん、あっことか、家族とか、友達とか。
でも何だかそれだけじゃいやな気がする。
もちろん僕はすべてのひとに価値コミットメントしたいという気持ちはない。
そんな多くの対象に対するコミットは効果が見えず辛くて、
しかもそんなコミットメントの方法って数が少ない。
僕みたいな俗物にはそんな希薄なコミットは耐えられない。
だけどもっと多くの人にも価値コミットメントしたい。
最初に挙げたような人たちになら、普通に生活するだけで、十分なコミットができる、つまり幸せにすることができる。
でももっと多くの人にコミットするは?
そういうひとにより直接、より強い形でコミットできる、そういう生き方をするには。
弁護士がいいのではないかと思った。
誰か限られた人に、深くかかわって、その人に幸せを提供できるなら。
それが弁護士を考えた理由。
でもそれには一生懸命勉強して、学部を変えなくちゃ。
と、同時に、その本を読んで、
こんなことを書いておいてあれだけど、
他人に承認を求めてばかりじゃダメだと思った。
他人に承認を求めることは絶対に必要だけれど、
求めてばかりじゃなくて与えることができないとそのような関係は維持できないし、
自分で自分を承認できるようにならなくちゃダメだ。
今まではいろんなことを求め過ぎちゃっていた気がするけど、
もっといろんなものを与えられたらいいな。
それと同時に、なぜ僕がこんなに承認を求めてばかりか考えてみた。
きっと、自己完結的だからだ。
僕は「自分の中に他人を入れたくないような人」を批判してきたし、
今でも批判しているつもりだ。
「自分の中に他人を入れたくない」というのは裏を返せば、
「だからあなたも私の中に入ってこないで」ってことだろう。
これはつまり、他人を承認できない人間。
そのくせに、生きるために必要な以上、承認は要求し続ける。
そう思ってきた。
だけど改めて考えてみると僕もこういう人間なのかもしれない。
こういう人間を僕が嫌いだったのは、いわゆる同族嫌悪。
実際、「末森と同じように」僕も自己完結的な人だ、
と共通の友人に言われた。
それに最近母にも、「しゅうは私に全然頼ってこなかったよね」と言われた。
ここ一年くらい、色々な人に深くかかわるようになって、少しはそういう状況からよくなってきていると思うけど、やっぱりまだすごく不安。
僕は、僕の中のあっこじゃなくて、ちゃんとあっことしてのあっこを見ているのだろうか。
もっと、自分の中に閉じこもるんじゃなくて、他者と相互補完的に生きていきたい。
だから、というかこんなのはこの文章のまとめにはふさわしくないかもしれないけど、
いつまでも僕と一緒にいてください。
コメント
KAITO(∀) 2009年11月28日 21:41
ずーっと
周の隣を歩かせて!
10年後も20年後も
周の右側は
わたしのすきな場所。
こんなこと言えるなんて
どーかしてる
でもほんとに一緒にいたいの。
あまね 2009年11月28日 22:04
ばかだな、あっこ。
好きだよ。